法問寺について
 
 
 
  由 来 

当寺は無量山光明院法問寺と称し、永禄2年(1559)穏蓮社安誉虎角上人により創建されました。ちなみに4年前の1555年弘治元年には川中島の合戦があり、翌年の1560年永禄3年には桶狭間の戦いで織田信長が今川義元を破っています。室町時代の中後期にあたります。当初は現在地より約100m東南に在りましたが、江戸時代の後期に中川開墾により現在地に移っています。

開山安誉虎角上人は天文8年(1539)甲斐府中(甲府)に生まれ、代々武田家の家臣であったが武田家滅亡により上総国(千葉)に移り住みました。13歳の時、道誉貞杷上人(増上寺9世)の門に入り増上寺出仕、学僧として宗学の研鑚に励みました。虎角の名は彼が浄土教だけでなく禅にも通じていたため、人々が浄土教を通じて禅に達することは虎の角を戴けるがごとくと称讃したことによります。虎角上人は16年間在住していましたが天正2年師僧貞杷上人のあとをつぎ千葉大巖寺の2世となり同寺の発展に力を尽くしました。室町末期の関東の学僧として著名です。著作も多く、後の檀林教学に大きな影響を与えています。

安政2年(1855)江戸大地震で本堂が崩壊し再建の機会にめぐまれず、仮本堂のまま、明治3年(1870)にようやく旧本堂が再建されました。20世 通誉大祐上人は昭和25年、従来の茅葺きを瓦葺きに修補し、さらに昭和56年(1981)21世文誉祐光上人により現在の和風鉄筋コンクリート造り本堂が出来上がりました。平成21年(2009)開創450年を迎え本堂内に雲上25菩薩が奉納されました。

   
   
 


  寺 宝

  御本尊阿弥陀如来 立像 像高92p 肘張30p 江戸時代初期の作

観音菩薩 立像 像高64.5p 

勢至菩薩 立像 像高63p

善導大師像・法然上人像 共に椅子に座す いづれも江戸時代の作

呑龍上人像 子育て呑龍様として参詣人に愛される

紙本着色「仏涅槃図」たて3m60p よこ1m78pの掛け軸 

明暦元年(1655)江戸初期の作


  
 
 

 古 石 碑

施餓鬼音楽法要碑
文化3年(1806)当寺に於いて施餓鬼音楽法要を行った記念として建立されたもので当時の民間信仰を物語る貴重な石碑 葛飾区文化財に指定されている
 

徳本上人筆六字名号の無縁塔 文化14年(1817)造立